東海聖化交友会 | 発行日 2001年4月15日 | |||
東 海 聖 会 報 | 発行人 東海聖化交友会・無関正秀 | |||
No. 11 | ||||
きよめと実際生活 | 教派の流れ 基督兄弟団 |
全国の聖化運動と 東海聖化交友会 |
推薦図書 聖化−聖徒は作られて行く |
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きよめと実際生活 | ||||
東京フリーメソジスト桜ヶ丘教会 | ||||
野田 秀 | ||||
6月に小さな者が“東海聖会”にお招きい ただいて、奉仕に当たることになりました。 皆さまのお祈りによって、ただ主の栄光が顕 されますようにと願うばかりです。 昨年は、河村襄先生が「聖化の理解を目差 して」というテーマで語られたと聞いており ます。それに続く今回のテーマが「きよめと 実際生活」であることには、大きな意味があ ると思います。それはちょうどパウロの手紙 の多くが、前半は教理について、後半は信仰 の実際面について述べているのに似ているか も知れません。きよめの問題は、聖書的に正 しく理解するとともに、そこに生きて初めて 祝福となるからです。 「生きて」と言いましたが、それは「実際 生活の中で具体化されて」ということです。 信仰は、対人関係や社会との関係において、 また、日々の現実において活かされてこそ意 味があるものであり、事実、私たちの信仰は そこで試され、磨かれ、本物になって行くか らです。“きよめ”がお題目に終わらず、実 際生活において生き生きと証しされるとした ら、どんなに幸いでしょうか。 おおよそ、次のような内容でお話ししたい と思います。 ◆ 第1回「荒野が聖所に」 詩篇63:1〜11 ダビデは荒野にいました。それは文字どお りの荒野であると同時に、辛い状態にあった |
という意味でも荒野でした。 しかし、彼は「私は、あなたの力と栄光を 見るために、こうして聖所で、あなたを仰ぎ 見ています」と告白しました。荒野が聖所に なったのです。 この世で生活することと、そこで出会うさ まざまな現実は、荒野にたとえられるほどに 厳しいものがあります。そのために、信仰が 教会の中だけのものになってしまいかねませ ん。信仰が実際生活で生きたものにならない からです。“きよめ”は聖所(教会)の中だ けにあるものではなく、荒野にいながら、そ こを聖所に変える方なのです。 ◆ 第2回「不満が感謝に」 創世記4:1〜16 カインに注目しましょう。ささげ物をして いますから、彼も信仰者でした。けれども、 主がアベルのささげ物を喜ばれたことに不満 をもち、それがきっかけで弟を殺しました。 カインのもったものは、怒りであり、ねた みでもあったでしょう。怒りやねたみは、ク リスチャンが実際生活の中で必ずしも勝利を 得られないでいる課題の一つです。カインが もっていた課題が、現代のクリスチャンをも 脅かしているのです。 罪を犯したカインに対する主の扱いは、実 に愛と忍耐に富んだものです。“きよめ”と は、主の愛と忍耐によって、私たちの不満が 感謝に変えられて行く力なのです。 |