東海聖化交友会 | 発行日 2001年4月15日 | |||
東 海 聖 会 報 | 発行人 東海聖化交友会・無関正秀 | |||
No. 11 | ||||
きよめと実際生活 | 教派の流れ 基督兄弟団 |
全国の聖化運動と 東海聖化交友会 |
推薦図書 聖化−聖徒は作られて行く |
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教派のながれ(5) | ||||
基 督 兄 弟 団 | ||||
◆基督兄弟団の発足は昭和21年2月である。 しかし、兄弟団を語るのには戦前からの流 れを知らなくてはならない。 ◆兄弟団の前身は、中田重治を監督とする 東洋宣教会(後に東洋宣教会ホーリネス教 会と改称)である。時は明治38年11月。東 洋宣教会の名称で、今までの伝道館を法人 組織化した。やがて大正6年、東洋宣教会 ホーリネス教会と改称。この群れは、新生・ 聖化・神癒・再臨の信仰信条に立つ教派とな た。また、ホーリネス教会は、大正8年と昭 和5年にリバイバルを経験している。 ◆しかし、悲しい事も起こった。昭和11年 には「きよめ教会」と「聖教会」に分離。や がて、太平洋戦争へと突入する中、中田重治 の語った日本民族の使命との関わりの下で、 戦争を容認し、勝利を期待し、さらに祈願す るようになった。きよめ教会の終身監督に なった中田重治は、昭和14年9月に召天。 その後、教団運営に混乱を生じた。昭和15 年に宗教団体法が成立すると、国家は思想 統制に乗り出し、きよめ教会等は日本基督 教団第9部に入れられた。さらに弾圧が始ま り、昭和17年6月には、きよめ教会の教職 は一斉検挙され、35名が起訴猶予、5名が実 刑判決を受けて投獄された。その後4師が殉 教された。弾圧は敗戦まで続いた。 ◆敗戦後の昭和20年11月30日。森五郎、斉 藤源八、中田羽後、田中敬止、青木運之助の |
各氏が、かつての同労者に教団の発足の案 内を郵送。その呼びかけに応じて志を持つ 者が集まり、伝道者としての再起を決意し た。翌年1月1日〜3日にかけて、新年聖会 を開催。新しい教団は、祈りのうちに「基督 兄弟団」とすることとした。そして、昭和21 年2月14日、新しい教団の名の下に約10教 会が参加し、宗教法人法令に従って届出を 出し、登記を完了し発足した。教団の第1回 総会は、昭和22年5月12日〜14日まで、東 京都武蔵小金井町浴恩館にて開催された。 初代の主管者(現在の理事長)は森五郎師で あった。 ◆聖書学院。戦後GHQの政策により農地 解放が行われた中で、昭和21年、旧陸軍航 空隊下志津航空地跡(千葉県)を借り受ける ことが出来るようになり、学園農場を開設 した。その後22年にナザレン教団に譲り、同 年秋に主の計らいで、現在の茨城県美野里 町羽鳥に土地が献品され、新たに聖書学院 が設立され、多くの教職者を輩出してきた。 ◆毎年、教団の標語をかかげながらここま で主に導かれてきた。現在73の教会・伝道 所をかかえて宣教がなされている。21世紀 初年の教団標語は「キリストの満ち満ちた 身丈にまで(エペソ4:13)」である。主イエ ス・キリストの教会の“完成を目指して”兄 弟団としての歩みがなされている。 |