東海聖化交友会 発行日 2003年4月15日
東 海 聖 会 報 発行人 東海聖化交友会・小林光生
No. 13
とげのついた棒を蹴って
  血だらけの者が恵みに変えられて
教派の流れ
チャーチ・オブ・ゴッド
内山富雄牧師召天に際し
中村和子牧師を偲んで
推薦図書
B.F.バックストン
「キリスト・無尽蔵の富」
教派のながれ(7)
チャーチ・オブ・ゴッド
◆創設者レイモンド・シェルホン師は1927年アメリカ オハイオ州の敬虔な両親のもとに生まれました。高校を卒業すると陸軍に入隊。戦後間もない横浜の基地に配属されました。そこでGIゴスペルアワーを通して新生の恵みに与ったのです。その後熱心に伝道に励みましたが、献身の勧めには耳を閉ざしていました。しかし1947年兵役解除になって帰国の途についたとき、船上で御声を聞き、召命を受け入れたのです。若干19歳でした。アメリカに帰って聖書学校に入学して一年が過ぎた頃、日本から帰ったばかりのヘイゼル・キルボン師のメッセージが心をとらえて離しませんでした。「今こそ日本は伝道のチャンスであり、今、日本のために献身せよ。」と語られたのです。シェルホン師は断食して祈り、今行くことを御旨と確信して聖書学校を中退し、再び軍籍を得て日本にやってきたのです。
◆1951年7月から川崎市民米語学校を拠点として宣教活動が開始されました。まず礼拝がもたれ、続いて日曜学校と伝道集会も始められ、翌年のイースターには最初の洗礼式をもつことが許されました。また米国にサポーターも備えられ、働きの基盤が整うとともに群が大きくなり、古い家屋を借りて教会堂として用いることになりました。1953年シェルホン師は米国陸軍から現地除隊を許可され全時間をささげて主に奉仕できるようになったのです。数カ所での路傍伝道
や日曜学校、さらに英語学院やカルチャーセンターでのバイブルクラスを通して求道者が興され、救いに導かれていきました。この後、会堂として使用していた建物の明け渡しを求められるという危機も訪れましたが、それをチャレンジと受け止め、1955年新会堂を献堂することが許されました。また同年はシェルホン師の按手礼、教会は印刷機を購入しての出版活動にも手を拡げ、1958年には最初の献身者三名が興され、東京聖書学院に入学しました。さらにこの年シェルホン師は美智子夫人と結婚、そしてアメリカのチャーチ・オブ・ゴッドと提携することになったのです。この群は神学的にはウェスレーアルミニウス主義に立ち、教会政治的にはそれぞれの教会が独立した形をとるインデペンダント・ホーリネス・ピープルと呼ばれています。その後毎年献身者が興され、働きが拡大していきました。川崎から始まった働きは献身者の郷里伝道の形で山形に、石川にと拡がり、さらに横浜、三重、愛知、仙台へと拡がっていきました。1981年には最初の国外宣教師をメキシコへ派遣。宣教師によって始められた群が宣教師を遣わす群へと導かれたことに御名を崇めています。
1967年には教団としての体制が整えられ、総理と理事会による教会政治のあり方が決められました。
◆チャーチ・オブ・ゴッドは三大基本理念として 1.福音の宣教 2.聖潔の生涯 3.教会の形成を掲げ、現在国内14教会 海外1教会+1拠点で戦っています。

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