東海聖化交友会 発行日 2004年4月15日
東 海 聖 会 報 発行人 東海聖化交友会・小林光生
No. 14
救いからきよめまで 教派の流れ
日本ホーリネス教団
愛する者を天に送って 良書紹介
デニス・アップルビー
「ヨルダン川をこえて」
救いからきよめまで
基督兄弟団 大阪教会牧師
笠 見  滋
 6月末に開かれる東海聖会にお招きくださり、感謝すると共に畏れをおぼえています。
小さい者のためどうぞお祈りください。
 私が生まれて初めて教会に行ったのは19歳の時でした。受験の失敗や人間関係のもつれから、生きる張り合いを無くし、無気力な毎日を送っていた私に、同じ学寮のクリスチャンでもあったK君が日曜日の朝、「教会に行かないか?」と誘ってくれました。することもなく日曜日を過ごしていた私は、誘われるままキリスト教会に行き、礼拝に出ました。
1963年9月22日のことです。なにしろ生まれて初めて教会に行った私には、すべてがめずらしく、特にそこに集まっていた人たちの非常に明るく、うれしそうな顔が驚きでした。また、学校唱歌や流行歌しか知らなかった私にとり、ただオルガンに合わせ、聖歌を歌っていただけだったのですが、実に美しく清らかに響き、印象的でした。やがて60代ぐらいの先生が立たれ、説教をされました。予備知識のまったくない私でしたが、ここにいる人々が真実に礼拝しておられる神は本当に間違いないということは分かったのです。それから日曜日ごとに教会に通い、聖書も買い求めて夢中で読むようになりました。こうして創造主、御子キリスト、罪、悔い改め、救いなどが分かった私は、それまで抱いていた大きな三つの疑問、「自分はどうしてこの世に生まれ出たのか」「この人生をどのように生きればよいのか」「死後、自分はどうなるのか」が見事に解決し、同じ年のクリスマスに感激の洗礼を受けました。
 生まれ変わった私は喜びにあふれながら教会に通っていましたが、数ヶ月経つうち、心中にある種の戦い−−ねたみや批判、肉的な欲望など、いつの間にかクリスチャンらしくない思いを持ってしまう自分に気が付いたのです。ある日、思い余って牧師先生に相談したところ、「それはキリスト者になった誰もが経験する戦いで、キリストと共に十字架につけられるなら、古い自我から自由になるのだ」と指導してくださいました。肉欲的な自我の問題に悩み始めていた私は、きよめの恵みというものがあると聞いて、そのときから第二の恵みを体験したいと熱心に求め出したのです。3年後の私どもの神学校で開かれた聖会に出ていたとき、求めていた聖潔の恵みをどうしても得ることができず、霊的絶望の極にあったのですが、その聖会で何もかも投げ出し、全面降伏というか全面明け渡しをしたとき、神が臨んでくださったのです。十字架の完全な晴いを見上げることができ、心に安息がやってきました。
 今振り返ると、救われて間もなく始まった内的葛藤は実に苦しいものでしたが、肉の力の空しさとキリストの十字架のこの上ない尊さを知る貴重な経験でした。それから40年が経ちましたが、この恵みがなかったら、牧師としてもキリスト者としても今までやって来られなかったろうと思っています。来たる聖会において、救い主、きよめ主なるイエス・キリストを心から仰ぎ、皆様と一緒にすべての栄光を主に帰するものでありたいと願っています。当日を楽しみに待ち望みつつ。

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