東海聖化交友会 発行日 2003年4月15日
東 海 聖 会 報 発行人 東海聖化交友会・小林光生
No. 13
とげのついた棒を蹴って
  血だらけの者が恵みに変えられて
教派の流れ
チャーチ・オブ・ゴッド
内山富雄牧師召天に際し
中村和子牧師を偲んで
推薦図書
B.F.バックストン
「キリスト・無尽蔵の富」
とげのついた棒を蹴って
  血だらけの者が恵みに変えられて
チャーチ・オブ・ゴッド瀬谷グレース・チャペル牧師
伊 藤 昭 吉
 6月に開催される「東海聖会」にお招きいただいてご奉仕をすることになった伊藤昭吉です。先日、関昌宏先生からのお電話で、東海地区では私を知る方々が少ないので自己紹介を兼ねて会報に何か書くようにとのことでした。まことに恐れおののいております。どうぞお祈りをもってお支えください。
 私はチャーチ・オブ・ゴッドという群れに属する教役者です。今年で創群52年目を迎えますが、私たちの群れは、創群当初は神学的にも混迷期でホーリネス信仰にはまだ立っていませんでした。
 献身者となった私たちが入った神学校は日本ホーリネス教団に属する東京聖書学院でした。私の神学(信仰)的煩悶はそのときから始まったといえます。私を導いてくださった宣教師の先生は当初ホーリネスについて否定的な見解を持っておられ、私たちを学院に送るときも「あなた方はホーリネスを学ぶよりも聖書そのものを学んで来なさい。」と言ったほどでした。先生を深く敬愛し私淑していた私は先生のその言葉をしっかりと守りつづけました。ホーリネスを標榜する神学校の中でホーリネスを拒みつづける私は神学校の中でいつしか異端児になっていました。
 ところが私の心の拠り所であった宣教師の先生が訪米され、ホーリネスを標榜する新しいサポーターと提携されました。これを契機に教会はホーリネス信仰に立つことになったのです。二階に上がって梯子を取られたように私はひとり取り残された形になりました。
それ以後私には教会にいても、神学校にいても心の平安はありませんでした。周囲の者すべてを敵視し、反抗して神学校の三年生になりました。
 その年の秋です。私はある必要に迫られて朝食を断って祈っているとき、聖書のみことばが心のうちに与えられました。それは文語訳で「とげある鞭を蹴るは難し」(使徒26:14)というみことばでした。新改訳聖書では「とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」となっています。このみことばを反芻している中で私は自分の貧相な霊的姿が見えてきたのです。私淑する先生に裏切られたという思いから恨みと愛のアンビヴアレント(両義性、はぎま)の中におり、一緒に献身した兄弟たちを変節者と呼び、神学校の教師たちを軽視し、ひとりむきになってまるで手負い獅子のようにすべてのものを蹴飛ばしては血だらけになっている自分の姿が見えてきたのです。私は全く砕かれました。そして「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましよう。」(ガラテヤ5:25、26)のみことばを与えられて全き聖潔の信仰に立たせていただきました。
 以来今日にいたるまで、神様の恩寵のなかに生かされていることを感謝しております。 お会いする日を楽しみにしています。

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