東海聖化交友会 発行日 2004年4月15日
東 海 聖 会 報 発行人 東海聖化交友会・小林光生
No. 14
救いからきよめまで 教派の流れ
日本ホーリネス教団
愛する者を天に送って 良書紹介
デニス・アップルビー
「ヨルダン川をこえて」
教派のながれ(8)
日本ホーリネス教団
1.創立  日本メソジスト教会の伝道者であった中田重冶は、米国ムーデー聖書学院在学中に聖潔の恵みを受け、日本帰国後、巡回伝道にたずさわった。1901年、来日したC.E.カウマン夫妻と提携して東京神田神保町に中央福音伝道館を開き、あわせて聖書学校を始めたのが、ホーリネス教会の起源である。後にE.A.キルボルン、笹尾鉄三郎も加わり、「東洋宣教会」という一組織を作るに至った。1917年、福音伝道館全体は「東洋宣教会日本ホーリネス教会」となり、従来の超教派的伝道団体から一個の明確な教派に変り、中田はその初代監督に就任した。
1933年、再臨信仰高調から特殊な主張に移って行った中田監督の指導に対し、信仰上同調出来なくなった聖書学院の五教授は臨時総会に訴えた。監督側と委員会側(五教授側)が対立し、1936年、ようやく和協分離が成立した。ここに従来の教会は「日本聖教会」と「きよめ教会」とに分離した。
2.再建  第二次世界大戦が終わり、暫くは日本基督教団の中にあってホーリネスの群を組織し、ホーリネス信仰を守ってきたが、合同教団内にあっては、聖書信仰、四重の福音、明確な聖潔の旗印がボヤかされる恐れがあった。車田秋次に東洋宣教会の本部(米国)より、ホーリネス教会再建に関する申入れが寄せられた。車田は、1949年(昭和24年)春、日本基督教団ホーリネスの群の年会で、日本基督教団離脱とホーリネス教会復興の決意を発表した。同年6月「日本ホーリネス教会」創立総会が開かれ、新教会(教団)の決議がなされ、初代総理に車田が就任した。
3.戦後  東京聖書学院は1963年に新宿区柏木から東京都東村山市に移転し、教団本部もそこに移った。教団規則改正で総理制から委員会制に変えられて現在に至っている。
1997年総会で教団の信仰告白が決議された。

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